幼稚園教諭 私の経験談
人間関係
友人の死
生涯の友となれるような気がするほど、仲良しになれた同僚の友は、父親の闘病生活を看るために郷里に帰ってきて、父親を看取ってから私の園に入ってきました。ところが、あまりの給与の低さに、首都圏に戻る計画を立て始めた矢先、彼女の病気が発覚。そして、数ヵ月後、念願だった職場に復帰することもかなわず、天に召されました。
彼女との2年ちょっとの付き合いでしたが、ぽっかりと心に穴が開いたようでした。お互いに「知り合えてよかったね」と、切磋琢磨のできる関係だったと思います。
彼女には、不思議な魅力があり、感じの悪い人も彼女にかかると、みんな良い人になりました。誰とでも打ち解けて、いつもソフトで周りを安心させる人でした。彼女から家族の大切さや、押し付けでない学びを与える資質を持っていました。今考えると、彼女は君子だったな・・・・と。私は現在に至っても、まだ小人のような気がします。
人のずるさ
自分さえよければいいという自己中心的な考えは、誰にも少しはあると思いますが、職員間でのそういったやりとりが目につくようになってきました。私はずるさに対しては、とても潔癖なところがあり、主任とも言い合いになるほど、公平さ、平等さにこだわりました。そして、主任は家の事情で県外に行くことを決め去っていきました。
しかし、仕事にはまじめな方で、主任の立場でも子どもたちを担任し、主任の仕事もクラスの仕事もよくこなしておられ、真似のできない勤勉な方でした。こうして、友人、主任と、そして先輩の先生も出産退職して、だんだんと園の中の空気も変化していきました。
何が育つのか
友人がよく言っていたのは、「その保育で何が育つのかを考えるべき」。彼女の死後、私の保育観の中に深く根付いた考え方です。それを貫くには、もう今の現状の職員間では無理がありました。だんだんと若い先生も入ってきて、深い保育の掘り下げを一緒に考えてくれる人間関係は無理のように見えました。
自分の理想の保育ができないジレンマ。そのことでだんだん人間不信に陥りそうでした。理解者がまわりにいない孤独感。保育論に関しては四面楚歌でした。この職場ではもう理想の保育はでないと痛感しました。退職を少しずつ考え始めました。

